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昭和の乗り物

電車なんかもっと後の話

汽車

ろくの子供の頃は電車などなく蒸気機関車が現役バリバリで走ってました。

なので僕にとっては鉄道イコール汽車であって断じて電車ではないのですが、全線電車になってしまったので仕方なく電車と言っています。

ろくの住んでた町は大きかったので機関車の方向を反転する「転車台」という大掛かりな施設があってさながらサンダーバードの秘密基地みたいにカッコよかったです。

夜更けでも遠く駅の方から「ポーーッ」という汽笛が聞こえていました。

自家用車など持てない時代でしたから、旅行は当然この汽車です。

「これから旅行に出発するんだ」という期待感と「ガタンッ」とひと揺れしてからのっそり動き出す汽車は実になんともいえない雰囲気でした。

僕らのように本物を体験している身からすると、現在山口県などで「観光列車」として走っている汽車には不満があります。

蒸気機関車そのものには不満はないのですが、客車が現代のものを引いているのが懐かしさをスポイルしてしまっていると思うのです。

やっぱり内装が木のレトロな直角椅子のものでないと合わないですよね・・・

「アミダナ」という言葉のとおり頭上の棚も大きめの目に編まれた網でなきゃ・・・

あと連結器の精度も悪かったので発車時の「ガタンッ」という衝撃も大きくなければだめです。(ろくはこのガタンッにめちゃくちゃこだわります)

走り始めたら真鍮の留め金を操作して「上げ下げ窓」を絶対に開けましょう。

なんともいえない石炭の香りを味わうためです。

そしてトンネルに入ったら「あわてて窓を閉めるという行為」もキャアキャア言いながら楽しみましょう。

または「目にススがはいったぁ~!」という経験もしてもいい思い出になります。

そして今では飛び越してしまわれる小さな駅にも様々な由来で駅名が付いていることに思いを馳せつつ駅弁を食べるというのが最高です。

昭和30年代の汽車の旅はこういうものだったのです。

ベビーカー今昔

乳母車

現在はベビーカーと呼ばれ折りたたみが主流となっていますが、昭和30年代はイラストような乳母車(うばぐるま)が一般的でした。

赤ちゃんを外に連れ出す時にはかかせませんね。

しかし昭和35年生まれのろくでさえ「乳母(うば)ってなに?」って疑問を持ちましたから乳母車という言葉はもはや完全に死語でしょう。

乳母とは本当の母親の代わりに乳をやる役目の代理母で、お手伝いさんのいるようなお金持ちの家にいたらしいです。

どうりでろくは乳母なんぞ見たこともないわけです。

そんな大事な「お金持ちの赤ちゃん」を乗せる道具ですから豪華でした。

あちこちにスプリングがついています。

車輪回りに10本ほど、そしてバスケットをつる格好で4本・・・

路面から受ける振動を極力赤ちゃんに伝えないことに最大の力点を置いていました。

最近のベビーカーにもサスペンション付のものが増えてきましたが、多分乗り心地は乳母車が最高でしょう。

・・・あ、・・・あくまで乗り心地の面でということですよ。

車体重量や、折りたたみという点では現代のベビーカーの方が優れています。

うばぐるまは、いわば寝台列車。

ちなみにろくのウチには乳母はいなかったけど乳母車はあった。

・・・っていうことは「お坊ちゃん」だったのか?・・・まさかね(笑

両親のひとかたならぬ愛情を感じてしまいます。

・・・・お父さん・お母さん、ありがとう・・・・

日野ルノーが多かった

日野ルノー

昭和30年代を代表する自動車といえば「日野ルノー」ではなかったかな。

名前が表しているように、日本の「日野自動車(現在ではトラック専門でたしか三菱に吸収されたように思う)」とフランスの「ルノー」が技術提携して生産された「ノックダウン車」である。

まだまだ、「一家に一台」の時代には程遠かったから街で見かけると後を追ったりしたものだ。

この頃のものは全てに丸みを帯びていて自動車も例外ではなかったが、シャープな直線でないところもノンビリした郷愁を感じる。

またドイツの国民車「フォルクスワーゲン」ともよく似ているのはどうしてもフェンダー(泥除け)を後付けで考える傾向があったからだ、とろくは個人的に考えている。

また見てのとおりドアは「観音開き」で前席は後ろ側に開く構造で、もし走行中に開いてしまったら風を受けて大変危険だ。

まあ、今こんな車が安全基準を満たすことはないだろうけど、のんびり田舎道を走ってみたいような気もするなぁ。

個人的には乗り降りしやすいといった利点もあるので、好きなんだけど・・・

フラッシャーつき自転車

自転車

ろくが小学生4年生のころ爆発的に流行った自転車にフラッシャー装備のサイクリング車がある。

フラッシャーとは平たく言えば「方向指示器」のことで、自動車やバイクと同様に「これから左折するけんね」というように周囲に知らせるものです。

当時自動車もただ点滅するのではなく曲がる方向に(複数個の電球を内蔵した)流れるタイプが流行っていたために自転車にもそれが取り入れられて少年たちには大人気でした。

ただ、電池をものすごく食うので最初は律儀に電池を補充していた子供たちも「お小遣いが電池代に消えてしまう」ことに気づきすぐに無用の長物化していったのです。

交通事故が急増していた時代でもあり、それなりの意義はあったとは思うのですが華美な装置に走るより「安全な乗り方」を教育するほうに注力すべきではなかったかとも思います。

このフラッシャー付自転車には他にもベルに代わってブザーが付き、ディスクブレーキやラジアルタイヤも装備され、まるで「自動車を目指していたのかっ?」と驚きます。

だから「とてつもなく重い自転車」になっていてあとから振り返れば「ばかげた時代だったな~」と笑えます。

でも少年時代これであちこち行きましたからやはり大事な乗り物だったんですね。

昭和のトラック

トラック

昭和三十年代のトラックは鼻がありました。

エンジンが前にあった訳です。

今のトラックのエンジンは座席の下にあります。

絵にあるように荷物をより多く積めるように改良されたんですね。

ただ、この効率最優先の犠牲になったものがあります。

それは「ドライバーの命」です。

事故を起こしてしまった時に鼻(エンジン)があれば、それが衝撃を吸収してドライバーの死亡率を低くすることに寄与していました。

専門用語で「クラッシャブルゾーン」といいますが、衝突したときに、「いきなり人間」ではなく衝撃を吸収するスペースが必要だということですね。

荷物をより多く積めるからといっても、ドライバーの命を軽視するなんてひどいと思いませんか?

昔のトラックに鼻があったのは未熟な技術ゆえで、「ドライバーの命を守るために」ではありませんでしたが、効率優先の現代もマズイといわざるを得ません。

軽トラックはその反省にたち「鼻をつけてクラッシャブルゾーンを設ける」ようになりましたがプロドライバーが乗る大型トラックは改善されていません。

アメリカのトラックには鼻があるものも多いです。

人命を尊重する風潮は日本には希薄なのでしょうか?

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