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昭和の風景

昭和の夏

今中年のおじさんが思い出す「昭和の夏の風景」といえば

まず縁側そしてアサガオ・井戸・スイカ・すだれ・風鈴といったところだろうか

他にも、かき氷・トウモロコシ・夜店・扇風機・そうめん・ひまわり などなど

 いろいろあると思うが、ロクがかってに「ゴールデンコース」として味わいたいものは

これである

アサガオの咲いてる庭に面した縁側で井戸で冷やしたスイカを食べている・・・

風鈴がチリンチリンとなり、遠くからはセミの声が聞こえてくる・・・

室内を振り返ると蚊帳が吊ってあり、中で母親がウチワをあおぎながら赤ちゃんと昼寝をしている・・・

蚊取り線香臭いがかすかに漂ってくる・・・

空を見上げれば力強い入道雲が・・・

・・・・というのが最高なのである。

ああ・・あの日に帰りたい

現代は幸せか?

ろくは男の子なので、当時の男の子の姿しか記憶にないのですが夏は上半身はランニングシャツ、下は半ズボン、靴などはかないでぞうりか下駄が一般的でした。
当時の白黒写真を見てもらえばうそでないことが分かります。
衣類にツギのあたっているのも恥ずかしくないぐらい一般的でした。
それにひきかえ最近の子はすごくおしゃれなカッコウになりましたね。
赤ちゃんでさえブランド物の衣類を身に付けています。
少子化でずっと大事大事に育てられるんでしょうね、それは大変結構なことと思います。
ただ、「腕白でもいい・・・たくましく育ってほしい」という某ハム会社のCMに代表されるような「たくましさ」がなくなってしまったのは事実だと思います。
昭和30年代の少年たちは本当に元気だった・・・
日が暮れるまで野山を駆けずり回っていた。
今は社会環境の変化から、公園で遊ぶことさえも危険視されるようになって、子どもたちはおちおち外で遊べなくなってしまいました。
着るものは素敵になって「腹ペコ」の経験すらなくなりましたが、これは幸せと呼べるのでしょうかね?
なんの心配もなく無邪気に子供達が遊べる時代が再び来てほしいと思います。

銭湯はいいよ

最近では減少の一途をたどる銭湯だが、昭和30年代にはそりゃあ活況を呈していた。

どんな街にも必ず数軒は「お風呂屋さん」があった。

まだ風呂のない家も多かったし、戦後の薄汚い暮らしから脱却したいという思いと日本人生来の「キレイ好き」から大変な賑わいであった。

また、温泉文化のある自然環境に恵まれていた日本だったことも「入浴好き」を後押ししたと考えられる。

ろくも小さいころはアパート住まいだったので銭湯はよく行ったものだ。

高い天井、富士山の絵、響き渡るかけ湯の音、「カコーン!」という桶の音、よかったねぇ~

もちろん、今でも健康ランドやスーパー銭湯など進化している所もあるにはあるのだが、地方の銭湯はどんどん廃業に追い込まれているのが現実だ。

大規模すぎる、キレイすぎる新種銭湯にはないワビサビのきいたいい雰囲気があるのに残念なことだ。

やはり「年月に磨かれた味わい」は一朝一夕にはかもし出せない。

なので、昔は温泉めぐりに血道をあげていた僕だが、最近は旅先で「昔からある銭湯」めぐりをすることにはまっている。

昭和的事故

昭和時代ならではのハプニングというか事故というか・・・

農作物にまだ化学肥料ではなく、金肥(つまりウ●コ)を肥料として撒いていたので、畑には「野ツボ」といわれる肥溜めがあった。

 ・・・で昭和の元気すぎる子供たちは、鬼ごっこやかくれんぼの時に「なぜか」はまってしまうのである。

幼馴染のT君やKちゃんが「全身くそまみれ」になったのを見たことがある・・・恐ろしい・・・

幸いろくは全身ではなく「片足を突っ込んだくらいですんだ。」が子供心に「ちゃんとフタしとけよなぁ!」と憤ったものだが、農家の方はしらんぷりなのだった。

今なら「安全対策を講じる義務」を行政指導されるかも・・・

小さいころの話なので真実は知らないが、「肥溜めに落ちると、どんなに念入りに洗っても3日は臭いが抜けなかったんだぜっ!」となぜかいばっていた友人がいたことをおもいだす。(野ツボに落ちることが勲章なのか?)

昭和30年代の畑の風景は野ツボと走り回るガキンチョの姿であった。

それにしても犬は可愛いけど

昭和30年代から40年代にかけて流行ったのが「スピッツ」という犬を飼うことだった。

ゴルデンレトリバーや、ハスキー犬、ミニチュアダックスなどの流行と同じである。

 ろくは犬が好きなのでいままで、トイプードルや柴犬・雑種を飼ってきた。

それでいうとどうもスピッツはキャンキャンと無駄吠えの多い犬種であったように思えてならない。

真っ白なところが「白色好きな」日本人に受けたのだろうが、そのはしかさには飼い主も手を焼いたのではなかろうか?

ジャーマンスピッツがルーツらしいが頭が良く飼い主のいうことをよくきくようで、日本ではブームは去ったが外国では今かなり人気らしい。

・・・ってことは当時単にシツケがなっていなかったということだろうか?

ま、とにかくペットは躾が勝負!

猫可愛がりもいいが躾だけはしっかりしないとペットも飼い主も、さらには近所の人にも不幸である。

ろくは、躾の足らない犬のためにエライ目にあったことから、躾にはウルサイのである。

昨日に続いてケロリン

ケロリン桶

ケロリンについて話を続けることにしよう。

今でも銭湯で見かける定番の「ケロリン桶」は今から45年前、昭和38年に登場した。

画期的だったのはこの桶、「桶を製造することが目的ではなく、ケロリンを宣伝する為だけに作られた広告代理桶だった」ことである。

ケロリンの名を全国津々浦々に浸透するための当時としては画期的なアイデアだったのである。

そのため、機能的にも徹底的な追及がされている。

まず、耐久性・・・壊れてしまっては広告搭ではなくなる・・・

だからケロリン桶はあんなに頑丈に出来ているのだ。(丈夫すぎる位だが)

そして長年の使用でも広告が消えないキクプリント(特許)という印刷方法。

今では全国に200万個も配置されているというからこれはもはや浴場のスタンダードといえる。

最初は白色でスタートしたが、汚れが目立ちにくい黄色に変更された。

地域リサーチも抜かりなく「関西版」「関東版」という異なる仕様が存在する。

関西版は関東版より小さく軽く出来ていて、底に足がついていない。

東西で違う使い方や心情まで考慮してなかなか天晴れなのだ。

実際にケロリン桶を使ったことのある人なら分かるだろうが、浴場の風情に欠かせない「カッコーン!」という音はこのケロリン桶が発しているのである。

ケロリン桶メーカー側はこの音までコントロールしているのだろうか?

もし、そうなら恐るべき企画力である・・・・絶賛!!

街角のケロちゃん

ケロちゃん

昭和30年代以降、高度経済成長時代には街角に看板を兼ねたマスコットが設置されはじめた。

その中でも不二家のペコちゃんに続いて誰もが知っているマスコットに蛙のケロちゃんがある。

不二家のない田舎でも薬屋の前に置いてあったから、ひょっとすると認知度はケロちゃんの方が上かもしれない。

昭和38年からの登場だそうで、後のバリエーションではまつ毛のあるのが女の子の「ケロちゃん」まつ毛のないのが男の子の「コロちゃん」だとされている。

地方の呼び名で「ケロヨン」とか「ケロリン」とかも呼ばれるが、これは当時のテレビの着ぐるみキャラクターのケロヨンと、他の製薬メーカーの解熱鎮痛剤ケロリンを混同したものだと思われる。

この蛙マスコットはキューピーコーワで有名な興和株式会社のものであり、一方ケロリンは内外製薬のものであるからだ。

実はろくもつい最近まで、銭湯で必ず見かけるケロリンのロゴが入った黄色い湯桶とケロちゃんは同じスポンサーだとばかり思っていた。

製薬会社のマスコット戦略はその後も連綿と引き継がれ佐藤製薬の象、エスエス製薬の兎などが生まれた。

確か、ケロちゃんだったか他のカエルキャラだったのかは忘れたが頭をたたくとバネで揺れたタイプがあったように記憶しているのだが、ペコちゃんと混同しているのかもしれない。

人の記憶はアテにならないものだ。

今ならまだ見られる

ポスト

都市部ではもう見られないが、田舎に行くとまだ見られるのはこのタイプの郵便ポストだ。

鋳物でできているので表面がでこぼこしているのもいかにもレトロである。

最近の四角いポストがスマートで無機質な印象と違って武骨ではあるが何か感情を持った「生き物」のような感じがする。

しかも四角いポストが細い一本足で立っているのに対して「まるで墓石か?」といわんばかりのどっしりとした丸い石の上に取り付けられているので、その頑丈な容貌には信頼感を感じる。

現代は電子メールが大流行なので、ダイレクトメールばかりが目立ってしまうが昔は通信手段が手紙しかなかったので「信書」としてとても大事に扱われたものだ。

その「信書」を預かる入れ物なのでポストのセキュリティー対策は重要なのだ。

民営化はされたが赤いポストと赤いバイクの郵便屋さんの姿は山村の風物詩としても味わいがあるのでろくは好きだ。

丸いポストはできればずっと残って欲しいものだ。

街角のたばこ屋

たばこ屋

昭和30年代にはタバコの自動販売機もありませんでした。

イラストのような小さいスペースにおばあちゃんが居眠りしながら店番をしていました。

全面ガラスのショーウインドーになっていてタバコが並べられていました。

店によって、ただ単にたばこを並べただけのところと、ちょっと斜めに置いてカートンの箱と組み合わせたりしたディスプレイセンスのよいところがありましたね。

また街角の・・・というにふさわしくたいてい商店街でも一番端の角にあることが多かったです。

ろくが生まれた年にハイライトが発売になったらしくウチのオヤジは格好つけて吸っていました(なんせ最先端なんだから・・・おやじも25歳若かった)。

じいちゃんは「しんせい」を愛用してました、古びて黄ばんだ紙のような色のたばこでした。

フィルター付が出てくるのはもう少し後だったんじゃないかなぁ・・・いわゆる「両切り」というフィルターなしのものが一般的だったと思います。

「ピー缶(ピースの缶入り)」やゴールデンバット・わかば・エコーなんてのも懐かしい。

ろくはもっぱらセブンスター系列(マイルドセブンなど)を吸っていました。

その他ラークやケント・ダンヒル・キャメル・ウィンストン・マルボロ、はてはインドのビデイなど色々味わいました。

たかが煙なのにずいぶんと味が違うのに驚きましたが、健康を考えて18年前にタバコをやめました。

世間の風潮も禁煙が進み、今やすっかり愛煙家は肩身が狭くなってしまいましたね。

おまけに自動販売機が席巻して街角のかわいらしいタバコ屋はどんどん無くなっていきました。

現代では携帯ショップか宝くじショップになっていることでしょう。

こんなタバコ屋がまだ残っていたらぜひ写真をとっておきたいものです。

手回し電話

電話

昭和30年代は電話も各家庭に1台ずつあったわけではない。

ろくの記憶では隣近所で2割くらいは電話をもっていなかったように思う。

そういうわけで、よく「呼び出し」に走ったものだ。

今考えると、自分チの電話番号を他人も利用するという意味でおかしな感じもするが「お互い様」という互助の精神が色濃かったのだろう。

本当に近所づきあいが濃密ないい時代だったと思う。

さて、ろくの家にはダイヤル式の黒電話が設置されていたが、少し田舎の方にいくとイラストのような「手回し交換台経由式」のものがまだ使われていて驚いたことがある。

中学生のときにサイクリングで○○村へ行ったときのことだったので昭和48年である。

交換台のオネエさんと話したときはドキドキしたなぁ~・・・・

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