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昭和の遊び

冬でも半ズボン・・なので赤チン

赤チン

昭和30年代の子供たちは冬でも元気に外で駆け回っていた。

それも半ズボンでだ。

冬枯れの野山は木々の葉っぱも落ちて明るく落ち葉の溜まった斜面などをダンボールをソリにして滑り降りたりしたものだ。

そんなアクティブな遊びをしていると必ず多少の怪我をしてしまう。

今なら「バンドエイド」をポケットに忍ばせていく慎重派もいるだろうが、当時はそんなものはない。

野山ですっころんで膝を擦りむいて泣きながら家路についたことは数知れない。

擦りむいた傷口には砂がめり込み冬で乾燥していることもあって白くガサガサ・・・

なんだか象やサイのような皮膚を思わせた。

で、家に駆け込むなり母親に「すりむいたぁ!」といって泣きつくと、必ず出してきたのが「赤チン」である。

正式名は、マーキュロクロム液といい水溶液の皮膚・キズの殺菌・消毒薬である。

通称の赤チンは「赤いヨードチンキ」の意味で、同じく殺菌・消毒の目的で使われる茶色の希ヨードチンキにたいして本品の色が赤いことからこの通称がついた。

正確にはマーキュロクロム液は水溶液なのでチンキ剤ではないので「チン」がつくのはおかしいのだが・・・

当時水俣病などの水銀の危険性が問題になったので濃度が薄いといえども水銀を含んでいた「赤チン」はその後姿を消すことになった。

ただ、今でも年配者の需要があるらしく売られていて、完全になくなったわけではない。

昭和30年代の子供たちはみんな赤い丸と共に元気に遊んでいたのである。

百貨店の屋上にはドライブゲームがあった

ドライブゲーム

昭和30年代の百貨店は子供にとって「ハレの日」「おでかけ」「ちょっと緊張」「ワーイワーイ」というものだった。

両親もウキウキしているのが伝わってきたなぁ。

当時は4階建てともなれば大規模な建物で街中でも遠くから見ることが出来た。

店内の豊富な品揃えに驚きながら両親の買い物につきあった後は屋上のレストランで昼食。

もちろんチキンライスの上に旗が立ってる「お子様ランチ」である。

両親がどんなものを食べていたかは覚えていない。

そして食後は同じく屋上の遊戯コーナーで子供を遊ばすのがお決まりの「昭和30年代百貨店ゴールデンコース」であった。

もっともポピュラーな遊具は飛行機や新幹線を模した物にまたがってただユラユラゆれているだけの単純な乗り物でこれが数台並んでいた。

その他に射的ゲームやボーリングゲームなどがあったが、ろくが一番好きだったのは

「ドライブゲーム」だった。

当時5歳くらいだったと思うが、ろくは自動車(といってもオモチャだが)の運転がとってもうまかったのだ。

中学生の兄ちゃんでもたびたび道を外れてしまうのに、5歳児が大阪~東京間を完走してしまうものだから回りの人は感心していたものだ。

動体視力が良かったのかもしれない。

現代では3Dのハイテク映像ものの「ドライブゲーム」ばかりだろうが昔のドライブゲームもなかなか難しいものなのであるよ。

ネッチンというボール遊び

ろくが小学生の頃に流行ったボール遊びに「ネッチン」というのがあった。

もっぱら学校の屋上でやったと思う。

なぜなら、このゲームにはまず「田」の字型の線を地面に書いて、その1マスに一人ずつ入ってそれぞれの陣地を攻略していく遊びだったために、屋上のコンクリートのつなぎ目がちょうどマス目状で利用できたからだ。

当時休み時間の屋上は、この「ネッチン」をする子供達であふれていた。

お互いの陣地にシュートやカーブをかけたボールを打ち込むのだが、2メートル四方の狭い陣地だから足元至近距離ばかりなので結構キャッチしにくいのだ。

ボールはバスケットボールを流用していたように思うが、腕力のないろくは重いボールをキャッチするのが苦手だった。

ただ手足は長かったのでそれが幸いしてかクラスでも強い方で「必殺●●ワザのろく」として有名だった時期もあるんだぜ・・エッヘン

それにしても「ネッチン」という言葉、誰がどういう理由でつけたのか今でも知りたいが誰かご存知の方いませんかぁ?

木製遊具

遊動円木

昭和30年代にはまだまだ木で作られたものが多かった。

公園にある遊具もそうで、何でもかんでも鉄になるのはもう少し後のことである。

例えば鉄棒は、肝心の鉄棒はその名のとおりもちろん鉄でできていたが、支えの部分は木の角柱でできていた。(少なくともろくの小学校はそうだった)

遊具には「滑り台」「ブランコ」「ジャングルジム」「シーソー」などいろいろある。

その中でも木の存在感を強烈にアピールしていた遊具があった。

その名も「ユードーエンボク」

カタカナでは何のことかさっぱり分からないが、漢字に書くと・・・

「遊動円木」である。

なんと明治時代からある遊具で、メインの子供がまたがるところがブットイ丸太なのだ。

昭和30年代には電信柱の古くなったものがよく転用されたようだ。

今中年の方は一度はこれで遊んだ経験をお持ちだろう。

ところが、現代の公園ではこの「遊動円木」はほとんど見かけなくなってしまった。

かなりの重量があるためにそれに運動エネルギーが加わると凶器になるからだ。

まして子供は「もっと、もっとっ!」とガンガン漕ぐからなおさら危険だ。

跳ね飛ばされたり、下敷きになったりの事故が増えて「安全性に問題あり」ということで消えていったと思われる。

でも丸太にまたがって揺られるというのは和んだものだったんだけどなぁ・・・

野山を駆け巡る

楠

テレビゲームなどない昭和30年代の子供たちは、野山で元気よく遊んでいました。

「秘密基地」と称して笹や葦などを取ってきてドーム状のものを作ったり(今から考えれば本当にまわりの藪に溶け込んだ軍顔負けのできだった)、木にロープ1本結びつけ「ターザンごっこ」をしたり(あーあ、あー~~っっ!!)・・・

崖から落ちそうになったり、漆の木でかぶれたり、自作いかだを作ったのはいいが池でひっくり返ったり・・・と結構デンジャラスに遊んではいたものの大事に至ることも無く成長していきました。

今の親御さんが見たら卒倒するでしょう。(笑

その危険な遊びの中でもろくが「今度こそ死んでしまうかもしれないっ」という目にあったことがありました。

楠(クスノキ)ってありますよね。

あの木はなぜか洞(空洞)ができるものが多く中に人が入れたりするんです。

活発な子供たちがこれを見逃すはずがありません。

・・・でろくは山の中に子供の身体がやっと入るくらいの洞の開いた楠を発見したわけです。

「穴があったら入らずにはいられない・・・ろくは男の子ですから(笑」

そこでズリズリズリイィ~ッと進入していったのですが途中でにっちもさっちも身動きできなくなってしまったのです。(汗

しかも馬鹿なことに上の穴から下向きに入ったので頭に血が上ってくるは・・・

おまけに友達と行ったのではなく一人で山(といっても裏山だが)に来てこうなってしまったので「誰一人として気づいてもらえない」という絶望的状態に陥ってしまったんです(大汗!

このときは、服よ破れよっっ!!とばかりにもがいたのが良かったのかなんとか無事脱出できたのですが、今自分の子供がこんな事態になったらやっぱり卒倒してしまうに違いありません。

親には言わなかったですよ、心配かけたくなかったから・・・結果オーライです。

こうして昭和の子供たちはタクマシク(ムボーなだけじゃん)育っていったのです。

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